デンマークの霊廟 ロスキレ大聖堂

デンマークのコペンハーゲンにある世界文化遺産です。

12世紀初頭からロマネスク様式で造られ始めましたが、

100年以上かけて造られたため、

建設中にポーチや王家埋葬のチャペルが加えられ

ゴシック様式になるなど増築されました。

スカンジナビア(デンマーク、ノルウェー、スウェーデン)の中では、

最も古い煉瓦造りの建設物とされています。

15世紀より代々の王や女王が埋葬され、

40体ほど豪華な雪花石や大理石の棺の中で今も眠り続けています。

王族体の棺は豪華で中には金で装飾されているもの、

天使が寄り添い芸術品のような棺もあります。

デンマーク王家の霊廟として知られています。

フランスのロマネスク様式とは違い、

オレンジ色のレンガが使用されており、

屋根も明るい水色や暗い紫が印象的です。

他のヨーロッパの建造物と比べると色が入っているのが、

特徴的です。

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白いトンガリ屋根 アルベロベッロのトゥルッリ

イタリアのアルベロベッロにある、世界文化遺産です。

特徴的なトンガリ屋根に白い外壁で可愛らしい家です。

16〜17世紀の開拓農民用の住宅として造られました。

現在も住宅地として利用されており、

旧市街には1,000軒もの家が並んでいます。

このトンガリ屋根には接着剤を使わずに石灰岩を積み上げる

だけで造られています。

扉を開けると一つの部屋になっています。

トゥルッリとは一つの屋根一つの部屋という意味です。

こういう家の造りになったのには理由があります。

昔は家の数によってナポリ王国への税金の額が違い、

領主はは税金を逃れるために、取り壊せる屋根にしました。

領主は住民達に役人が来るたびに屋根を外して、

また組み立てさせることを繰り返していました。

18世紀になると暴政は幕を閉じた。

美しい森というアルベロベッロという名前がつけられた。

家ごとに植物が植えられており、

白と緑が美しい街となっています。

花が咲く時期には少しカラフルとなり、観光が楽しいですね。

アルベロベッロには教会やホテルがあります。

ホテルはトゥルッリ仕様でできており、

隠れ家のようで楽しい場所です。

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最後の晩餐が描かれている教会 サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会はイタリアのミラノにあり、

世界文化遺産に登録されています。

元々は1469年にミラノ公によって造られたゴシック様式の教会です。

しかし、ミラノ公は慎ましい造りに納得がいかず、ルネサンス建築に

改築するように命令しました。

またミラノで最も美しく、贅沢な建築物でならないと考え、

1494年にレオナルド・ダ・ヴィンチへ最後の晩餐の

絵を描くように依頼しました。

ミラノ公は食堂に最後の晩餐を描くように言いました。

ダヴィンチは絵を描いては修正し、ただ眺めるだけの日もあり、

何日も要し考えながら描きます。

当時の壁画はフレスコ画が主流であり、

漆喰が乾燥する前に描いて、乾燥させつつ絵の具を壁面に

定着させていきます。

一気に描かなければならない技法と彼のスタイルは

合っていないため、ダヴィンチはキャンバスに描く方法と

同じ方法に描き方を変えました。

壁画には合っていない描き方であり、食堂に使われていた部屋で

湿気も多く、完成直後からひび割れなどが入っていました。

ダヴィンチはその後、一度絵を塗り直しましたが、

ミラノを後にしてしまいました。

その後、壁画がある部屋は馬小屋となったり、2回もの大洪水を受け、

幾度となく修復が行われてきましたが、1999年に

長い時を経て、最後の晩餐が蘇りました。

そんな最後の晩餐が置かれていく教会は、絵の保存を優先し、

教会への入場制限を設けています。

2ヶ月前から予約が可能ですが、世界中の人が予約をするため、

早めの予約が必要です。

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アドリア海の真珠 ドゥブロヴニクの旧市街

クロアチアにあるドゥブロヴニクの旧市街は

世界文化遺産に登録されています。

ジブリアニメ『魔女の宅急便』にモデルにもなっており、

とても可愛らしい町です。

ドゥブロヴニクにはロープウエーがあり、上から街を眺めることができます。

アドリア海に面しており、上から見るオレンジの街と

アドリア海の海はコントラストが美しいです。

その美しさからアドリア海の真珠と昔から呼ばれています。

ドゥブロヴニクができたのは7世紀頃に

ローマ帝国が崩壊した時に始まりました。

スラブの襲撃から逃げてきたラテン人が住み着いたことが始まりです。

13世紀頃になり、貿易が盛んになったことで

町が大きく発展していきました。

ドゥブロヴニクはヴェネツィア王国やオスマン帝国などの

強国に囲まれており、城壁が造られました。

現在のドゥブロヴニクは美しいだけではありません。

雑貨屋やチョコレートなどのお菓子売り場、ハンドメイドなど

おしゃれなお店も多いのです。

そして海に囲まれている町なので、

シーフードが美味しい料理が多いのです。

テラス席がたくさんあり、お店によってはオシャレな路地を見たり、

海を見ながら食べれるため、最高ですね!

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いつでも映画の世界 スペイン広場

スペイン広場はイタリアのローマにあります。

元々はスペイン大使館であったため、イタリアなのに

スペインの名称がついてます。

スペイン広場は『ローマの休日』で撮影されたため、有名になりました。

ローマの休日に憧れた観光客もたくさんいます!

この階段の本名はスカリナータ・ディ・トリニタ・デイ・モンティといいます。

大きな広い階段で、階段下からでも教会がほぼ見えるため、

とても美しくおしゃれですね。

元々はフランス外交官の寄付によって階段が完成したようです。

階段下の広場は黒い石畳であり、

高級感があります。写真映えしそうですね。

頂上にあるフランス教会からはローマを一望することができます。

トリニタ・デイ・モンティ教会はキリスト教用語が使用されており、

日本語に直訳すると『丘の上の三位一体教会』という意味です。

ルイ12世によって造られました。

スペイン広場の下にはバルカッチャの噴水があります。

噴水には船が飾られており、船の中に水が入っており、

船が沈みかけているように見えます。

イタリアの彫刻家ピエトロ・ベルニーニと息子のジャンロレンツォ・ベルニーニに

よって作られました。

スペイン広場は夕方になると

太陽のオレンジ色で照らされます。

普段は白い教会で爽やかですが、一味違う景色が見れますね。

そして夜には教会、階段、噴水と

全てが街灯に照らされてとてもロマンティックな姿となります。

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願いが叶う泉 トレヴィの泉

トレヴィの泉はイタリアのローマにある、バロック様式の泉です。

古代ローマ時代に皇帝アウグストゥスの命によって作られました。

ローマの建築家ニッコロ・サルヴィによって設計され、

彼の死後、1762年に完成しました。

トレヴィの泉とは『三叉路の噴水』という意味です。

これは泉の前に3本の路があるこに由来しています。

泉の中央には海神ポセイドン、左に豊穣の女神ケレス、

右に健康の女神サルースがデザインされています。

後ろのポーリ宮殿と一体型になっており、

噴水だけではなく雄大な眺めになっています。

現在ポーリ宮殿は美術館へと姿を変えて存在しています。

トレヴィの泉には昔から言い伝えがあります。

後ろ向きにコインを投げ入れると願いが叶うと言われています。

コインの枚数によって願い事は決まっています。

コイン1枚は再びローマへ戻ってくることができます。

コイン2枚は愛する人と永遠に一緒にいることができます。

コイン3枚は夫や妻と別れることができるそうです。

3番目の願いは昔、キリスト教で離婚を禁止されていたため、

できたお願いのようです。

昼間のトレヴィの泉は観光客が多く、賑やかです。

夜の姿は少し違います。

泉が白くライトアップされており、泉が光っているのように見えます。

そのため、トレヴィの泉はとても神秘的な姿になります。

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虹色の温泉 イエローストーン国立公園

イエローストーン国立公園はアメリカ合衆国にあり、

世界自然遺産として登録されています。

イエローストーン国立公園は世界遺産第一号の中の一つなんです!!

大自然と生態系を未来に残すため、世界遺産に登録されました。

アイダホ州、モンタナ州、ワイオミング州の3つの州にまたがる

広大な土地であり、総面積はなんと8980㎢にもなります。

数百箇所の間欠泉が集まる、火山地帯となっています。

1800年代にトーマス・ジェファーソン大統領の命令により、

探索隊が未開の地を探索してイエローストーンが発見されました。

イエローストーンには様々な大きさの間欠泉や温泉があります。

特に有名なものは『グランドプラズマティック・スプリング』という

直径113mの温泉です。

温泉の中心はとても高温であるため、空と同じ色の青色です。

温泉の外側になると温度が徐々に下がってきます。

そして色が違うところでバクテリアの種類も異なるため、

虹色の温泉になっているのです。

イエローストーン国立公園には世界の3分の2の間欠泉があります。

数もとても多いですが、規模もとても大きいのです。

とても有名な間欠泉として有名なのが『オールド・フェイスフル』です。

80分ごとに40000Lもの熱水を噴き上げています。

その高さは40mにも及ぶそうです。

イエローストーン国立公園は1978年の世界遺産第一号の中の一つです!

その頃から自然を守り、人間の手を加えないようにされてきました。

そのため、バッファローやオオカミ、エルクなど様々な動物がいます。

イエローストーン国立公園では自然の動物たちを近くで見ることができます。

イエローストーンは巨大な火山がり、

地下には膨大な量のマグマがあると言われています。

次に噴火した時は、火山灰が世界中を覆い、

アメリカだけでなく世界中に壊滅的な影響があると

言われています。

そして現在、火山はいつ噴火してもおかしくない状況と言われています。

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ミステリアスなストーンヘンジ

ストーンヘンジはイギリスにあり、ストーンヘンジ・エーヴベリーと関連する遺跡群

として世界文化遺産に登録されています。

ストーンヘンジはロンドンから約200km離れたソールズベリーの近くの

平野にある巨大な石の建造物です。

建てられた理由はいまだに研究段階であり、

暦を数えるためや天文台、何かの儀式、ケルト民族の礼拝堂などに

使われていたのではないかと言われています。

考古学者は紀元前2500年から紀元前2000年の間で作られたのではないか

と考えられています。

ストーンヘンジを囲む塀は紀元前3100年前とも言われています。

古代の人々は太陽を崇拝していました。

夏至は太陽が最も高く昇り、太陽の聖なる力が宿る最高の日

と考えられていました。

世界各地の遺跡で太陽が昇る方向に合わせて、

遺跡が造られました。

ストーンヘンジも夏至の日は高さ6mのヒール・ストーンと

中心の祭壇石を結ぶように太陽が昇ります。

そのため、考古学者によって天文台説が上がっているのです。

ストーンヘンジは建てられて以来、

ずっと変わらない姿で存在し続けています。

それはストーンヘンジを構成する石の中にサルセン石というものが

含まれており、それが石の強度を高めていると

言われています。

石が風化することなく存在し続けるのはすごいですね。

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赤くそびえ立つ遺跡 ペトラ

ペトラはヨルダンにある、世界文化遺産です。

ペトラとはギリシャ語で『崖』を意味します。

ヨルダンの中南部の砂漠は赤っぽい砂岩であり、ペトラ遺跡も

別名『ローズレッドシティ』と呼ばれています。

紀元前1200頃にエドム人がペトラ周囲に住み着いていました。

紀元前1世紀頃からナバテア人が侵略し、移住しました。

ナバテア人は貿易を独占し、シルクロード上の隊商交易の

場として栄えることができました。

ペトラは険しい岩山に囲まれている難攻不落の要塞と化していました。

キャラバンを盗賊から守り、キャラバンの中継地点となっていました。

そして、シルクロードの富を得て、岩山に建造物を建てていきました。

紀元前312年にナバテア帝国が誕生しました。

大国ローマは戦争で様々な国を征服し始めます。

ナバテア帝国はローマ帝国の一部であったため税金を払い、

争いを避けることで国を存続させていました。

しかし、ローマ帝国はシルクロードの道をペトラを通らない

別ルートを造りました。

ナバテア帝国はシルクロードで得ていたお金が入らなくなり、

ローマ帝国の完全な支配下となっていきました。

徐々に衰退していったペトラですが、ガリラヤ地震で

甚大な被害にあって、

ナバテア人はこの地を放棄したと言われています。

その後、長い年月を経て、

スイス人ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトに

ペトラ遺跡を紹介され、ペトラの存在が

また人々に知られることとなりました。

ペトラ遺跡は映画『インディ・ジョーンズ』の

撮影場所としても有名ですね。

ペトラ遺跡は映画のようなワクワク感をくれるに違いありません。

ペトラ遺跡に行くまでにはシークを通らなければなりません。

シークとは約1.2kmもの薄暗く狭い狭谷です。

シークは水の浸食によって長い年月をかけて削られ、

現在のような形になりました。

自然によって創り出されたシークを歩いていくと、

突然ペトラ遺跡の一部が見えてきます。

本当に冒険して、遺跡を見つける感覚に近いです。

そんなペトラ遺跡は太陽の光によって、オレンジから〜赤色まで

様々な姿を見せてくれます。

ペトラ・バイ・ナイトは1500本のキャンドル置かれ、

ペトラが一番、赤く輝きます。

そんな美しいペトラですが、まだ全体の15%しか発掘されておらず

謎はまだまだ深いのです。

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パリの宝石箱と呼ばれた サント・シャペル教会 

サント・シャペル教会はフランスのパリのセーヌ河岸として

世界文化遺産に登録されています。

サント・シャペル教会はステンドグラスでできており、

万華鏡のように美しい教会です。

陽が差したステンドグラスは輝き、神々しさがあります。

1113枚のもステンドグラスが使用されています。

その美しさを認められて当時は『パリの宝石箱』と呼ばれました。

天井は高く、ステンドグラスで飾られており、

ゴシック様式で建設されています。

サント・シャペル教会はルイ9世がキリスト聖遺物を収集し、

祈りを捧げるために建てられた教会です。

聖遺物の中にはキリスト受難の時の荊冠がありました。

荊冠とはキリストが十字架を背負ったときに

被ったイバラの冠のことです。

現在、荊冠はノートルダム大聖堂で大切に保管されています。

教会内を美しく飾るステンドグラスはパリの最古のものと言われています。

当時は文字が読めない人々も多かったのですが、聖書の教えが

ステンドグラスで表されており、人々の理解を助けていました。

ステンドグラスには創世記からキリストの復活まで描かれています。

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