世界一美しい海岸 アマルフィ海岸

アマルフィ海岸はイタリアにあり、世界文化遺産に登録されており、

世界一美しい海岸と言われています。

ギリシャ神話の英雄ヘラクレスが愛した妖精が亡くなった時、

世界で最も美しい場所に彼女の亡骸を埋めました。

この海岸は彼女の名前にちなんでアマルフィと名付けました。

古代ローマ帝国崩壊の時にイタリアの人々が

この場所に逃げてきたことが始まりとなります。

その後、アマルフィ共和国として栄え、

当時の人口は7万にも増えていました。

アマルフィ海岸は山の斜面に人々の住宅が並んでいます。

住宅の高さが違い個性のある住宅が見えるため、

赤や白、黄色、ピンクなど様々な色の住宅を見ることができます。

ビタミンカラーの街と美しい海の水色のコントラストが美しいです。

またアマルフィ海岸は温暖な気候により、花が咲き乱れています。

美しい街並みとオリーブやレモン畑の段々畑を見ることができます。

この美しさからイタリアのリゾートして有名になりました。

アマルフィはタイル細工がたくさん売られています。

アマルフィ海岸をモチーフにした海や住宅、自然を絵にしたものが、

多くあります。

また、レモンの産地でもあるため、それを象徴するように

レモンを象った焼き物がたくさん飾られています。

レモンを使ったお菓子やお酒が多くあるのも魅力的である一つです。

アマルフィ海岸のおすすめスポットの中に『エメラルドの洞窟』があります。

1932年に地元の漁師が洞窟を発見しました。

洞窟へはクルーズでもバスでも行けるようです♪

海にある洞窟はボートに乗り換えて洞窟へと進みます。

太陽の陽が差し込むと洞窟内の海がエメラルド色に光っているように見えます。

海が光り輝くのはとても神秘的です。

光の入り方によって、エメラルド〜青に変化するようです。

アマルフィ海岸にはアマルフィ教会があります。

この教会は聖アンデレのために造られ、9世紀頃に建てられました。

教会は修繕を繰り返し、ロマネスク様式、バロック様式、ロココ様式など

様々な様式が混在しています。

地下聖堂には聖アンデレの聖遺物が保管されています。

アマルフィ海岸の観光地は住宅と住宅の間の小道を歩いていきます。

オシャレな店もたくさんあるので、探検のようで楽しそうですね♪

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海の中の家 カサ・バトリョ

カサ・バトリョはスペインにあり、アントニ・ガウディの

作品群の一つとして世界文化遺産に登録されています。

1877年にバトリョという人の家をガウディが1904〜1906年にリフォームしました。

カサは家という意味があり、バトリョの家というそのままの名前です。

外観の飾りやガラスは近くの会社から譲り受けた廃棄物から

できているようです。

廃棄物とは思えないほど、綺麗な造りですね。

カサ・バトリョは海の中の宮殿のように、細部まで美しいでデザインです。

カサ・バトリョのモチーフがなんであるのかはいくつかの説があります。

一つはファサードの石柱が骨に似ており、『骨の家』と呼ばれ方もあります。

もう一つは、光と色から『海底洞窟』をイメージして作られたという説があります。

屋根も魚の鱗のように綺麗に並べられてますし、

外観、内装も海を連想させられます。

こちらの廊下は漆喰で塗られたアーチです。

陽の光が差し込むと、純白の滑らかな曲線が際立ちます。

オレンジ色のライトが当たると、とても暖かい印象になりますね。

壁には植物が植えられるプランターになっています。

オシャレで可愛らしいですね!

プランター

中央のパティオは吹き抜けになっています。

下は薄い水色、上は深い青色となっており、グラデーションになっています。

浮き出ているタイルがオシャレですね♪

ガラスは波を表したようなデザインが取り入れられています。

中央のパティオと雰囲気があっており、海底を想像できます。

屋根は魚の鱗のような形になっています。

鱗も虹色になっており、カラフルな海の世界というイメージです。

外観もガウディの特徴的であるタイルが細かく貼られています。

海をイメージして作られた説からか、タイルは青色が多めに使われていますね。

ガラクタから作られたとは、全然思えません。。。

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ガウディの最高傑作 コロニア・グエル教会

コロニア・グエル教会とはスペインにあり、

アントニ・ガウディの作品群として世界文化遺産に登録されています。

アントニ・ガウディの芸術に虜となったエウゼビ・グエル伯爵が、

ガウディのスポンサーになったことは、グエル公園の時に書きましたね。

グエル伯爵は繊維工場で成功しており、お金持ちでした。

そしてバルセロナにあった繊維工場を田舎に建てようと計画します。

そのためには従業員もそこに住めるようするために病院や学校を建て、

教会はアントニ・ガウディに依頼をしました。

1898年に依頼され、ガウディは芸術の更なる美しさを求めて、

逆さ吊り実験を始め、10年もの歳月が経ちました。

逆さ吊り実験は現在『フニクラ』と呼ばれています。

フニクラはサグラダ・ファミリア、グエル公園、

そしてコロニア・グエル教会に使われました。

ガウディの芸術作品の特徴である、曲線ですね。

フニクラとは複数の網状の紐に錘をつけて支えると、

紐が作る曲線は、上下を返せばそのまま建築物の重さを支える

自然で安定した柱の曲線となると考えました。

ガウディは自然と調和した建造物を作ることが理想でした。

そして植物、動物のモチーフを取り入れるのみではなく、

柱や建造物でさえも、自然の法則を探していきました。

『美しい形は構造的に安定している』という名言があり、

このコロニア・グエル教会の柱は斜めになっていたり、

柱が上から下へ細くなっていますが、

教会は美しいまま、今も建造物としてあり続けています。

そして1908年に逆さ吊り実験が成功したガウディは、

コロニア・グエル教会の着工をしていきます。

6年後にグエル伯爵が亡くなって伯爵の息子も教会の建設には消極的であり、

ガウディはサグラダ・ファミリアの建設に集中するため、

コロニア・グエル教会は未完成のまま工事は終了してしまいます。

コロニア・グエル教会の外観は煉瓦造りとなっています。

ぱっと見はガウディらしくないという感想です。

しかし、天井や内装はカラフルなタイルが使われいます。

窓の形、柱も曲線があり、ガウディらしいですね。

ステンドグラスは花のような丸いガラスであり、

色鮮やかで可愛い印象です!

ガウディの建造物を見ていると、カラフルな世界や海にいるような気分になり、

ガウディのファンになってきました。

いつか絶対にスペインに行ってみたいです!

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空中都市 マチュ・ピチュ

マチュ・ピチュはペルーにあり、周囲には絶滅危惧種の動植物もいるため、

世界複合遺産にマチュ・ピチュ歴史保護区として登録されています。

インカ帝国の首都はペルーのクスコで、1200年頃に国が成り立ちました。

最盛期の15〜16世紀には現在のエクアドル、ボリビア、ペルー、チリの

国土を支配していました。

太陽を崇拝しており、皇帝は太陽の化身とされており、

インカと呼ばれていました。

1533年にスペイン人ピサロによって、国を征服されインカ帝国は滅亡しました。

スペイン軍に存在を気づかれることなく、

マチュ・ピチュは400年間長い眠りにつくことになりました。

1911年にインカ帝国の遺跡マチュ・ピチュはアメリカの冒険家によって発見されました。

マチュ・ピチュは王族や貴族の別荘のような役割を果たしていたと考えられています。

アンデス文明は文字を書く文化がなかったため、

マチュ・ピチュがなぜできたのか未だに謎のままなのです。

そのため、神秘的な構造物として有名なのですね。

遺跡には大きな宮殿や神殿があり、王族と貴族の生活を支える

職員達の住居も見つかっています。

マチュ・ピチュには750人しか入らなかったと推定されています。

マチュ・ピチュは1440年頃に建設され、

インカ帝国滅亡の時まで続いていたとされています。

太陽の神殿

インカ帝国は太陽を崇拝しており、マチュ・ピチュも太陽の観測が行われていました。

マチュ・ピチュの『太陽の神殿』には、窓が2つあり、

東の窓から冬至の朝、南の窓から夏至の朝に太陽が正確に差し込むと言われています。

『インティワタナ』という場所があるのですが、

太陽を繋ぎ止めるという意味があります。

インティワタナはマチュ・ピチュは一番高い場所に置かれており、

石の対角線上を冬至の太陽が通るそうです。

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目の前に広がる虹 レインボーマウンテン

ペルーのクスコにあるビニクンカ山は、2016年に発見されました。

ペルーのアンデス人が近づけないほど複雑な地形であるため、

このレンボーマウンテンも最近発見されました。

レンボーマウンテンは標高5100mにあるため、雪が積もっていました。

しかし、地球温暖化によって雪は溶け始めました。

そして見えたのは、7色の虹がかかった山が見えました。

ビニクンカ山は『虹色の山』という意味の

レインボーマウンテンと呼ばれています。

レインボーマウンテンだけではなく、

近年ペルーでは様々な絶景が発見されています。

レインボーマウンテンは地層に含まれている様々な種類の鉱物が、

地表で剥き出しとなり長い年月を経て、

酸化して鮮やかな色を出しました。

レインボーマウンテンはあのマチュピチュと車で3時間程度の距離にあります。

そのため、観光がしやすくあっという間に人気となりました。

レインボーマウンテンの魅力的なポイントは一ヶ所が虹色ではなく、

周囲の山も色鮮やかであるため、虹色の山々を一望できることだと思います!

人生で一回は行ってみたいスポットですね!

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誇り高い修道士の大聖堂 メテオラ

メテオラはギリシャにあり、高い岩の上に大聖堂があるため

世界文化・自然複合遺産に登録されています。

メテオラとはギリシャ語で『中空に浮かぶ』というメテオロスが語源となっています。

奇岩群とは20〜600mもの巨大な岩が個々で垂直に立っています。

6000万年前頃から海底に堆積した砂岩が隆起してできたものと言われています。

9世紀頃より修道士達は奇岩群の洞窟や裂け目に住み込み、

俗世との関わりを断ち、祈りと瞑想をしていました。

14世紀になり、戦乱を避けて多くの修道士がメテオラに来ました。

その中にアサナシオスという修道士がおり、

大メテオロン修道院を造りました。

14〜16世紀頃に24ヶ所の修道院が建設されました。

現在、修道院として活動を続けているのは6ヶ所だけとなりました。

①大メテオロン修道院(メタモルフォシス修道院)

メテオラ最大の修道院であり、標高616mとなります。

『救世主の変容』という意味があるメタモルフォシスという別名もついてます。

修道院の中にはフレスコ画やイコン(キリスト、聖母マリアの聖画像)があります。

②ヴァルラアム修道院

1541年に大メテオロン修道院の横に建設されました。

こちらも内部にはフレスコ画があります。

③ルサノウ修道院(1950年から女子修道院)

聖女ヴァルヴァラのために建設されました。

聖女ヴァルヴァラとはとても美しい女性で、求婚者から遠ざけるために

実の父親から塔の中に閉じ込められました。

3世紀のローマ帝国ではキリスト教の信仰を禁止しており、

聖女ヴァルヴァラはキリスト信者だったことで、

火で体を焼かれる拷問を受けましたが、

翌朝には傷は癒えました。

その後、剣によって彼女は殉教したと言われています。

④聖ニコラオス修道院

クレタ派のフレスコ画『最後の晩餐』があります。

⑤聖ステファノス修道院(1961年から女子修道院)

聖ハラランボスの聖遺物が置かれています。

⑥聖トリアダ修道院

至聖三者に捧げられた修道院です。

近年、メテオラは観光地となってしまい、

修道士として俗世と離れた理想的な修行ができていないようです。

そのため、修道士の中にはアトス山の修道院へ移つこともあるそうです。

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ガラスの家と呼ばれる アーヘン大聖堂

アーヘン大聖堂はドイツにある、世界文化遺産です。

アーヘン大聖堂は1978年に世界遺産の第一号の12個ある中の一つです。

北ヨーロッパで最も古い大聖堂になります。

786年にカール大帝がアーヘンの宮殿教会を建てました。

814年にカール大帝が亡くなると、その遺体は大聖堂に納められました。

現在でも、遺体は残っています。

そのため『皇帝の大聖堂』と呼ばれています。

外観は薄い青の屋根に、クリーム色の外壁です。

とても爽やかな印象であり、神聖な雰囲気を感じます。

外から見るとステンドグラスが何枚も飾られているのが、よくわかります。

青を基調としたステンドグラスの前には、金色に装飾された

十字架や祭壇が置いてあり、コントラストがなんとも美しいです。

ステンドグラスに囲まれた礼拝堂は『ガラスの家』と呼ばれており、

カール大帝の即位600年を記念して増築されました。

その呼び名に相応しく、太陽の陽が入るときらきらと

礼拝堂内が神々しく照らされます。

しかしとても残念なことにデザインが異なるステンドグラスが何枚か存在します。

それは第二次世界大戦で壊れてしまい、追加されたものが飾られています。

大聖堂の内装は八角形になっています。

中世のキリスト教では8という数字が重要でした。

キリストが十字架にかかったのは宇宙創造では6日でした。

その3日後に復活した日が8日ということです。

キリストの死と復活することになった洗礼の聖堂には

八角形が使用されることとなりました。

そのため、アーヘン大聖堂にも八角形になったのですね。

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世界一美しい広場 グラン・プラス

グラン・プラスはベルギーのブリュッセルにあり、

ブリュッセルのグラン・プラスとして世界文化遺産として登録されています。

『レ・ミゼラブル』の著者であるヴィクトル・マリー・ユーゴーが

世界一美しい広場と言っています。

そんな彼もギルドハウスに住んでいました。

そんな美しい広場ですが、1523年にプロテスタントが

火刑に処された場所でもあります。

グラン・プラスは10世紀ごろよりギルドという同業人組合によって

商業都市として繁栄しました。

グラン・プラスは2年に1度フラワーカーペットがひかれ、

テーマは毎回変わります。

1971年からこのイベントは始まり、人気であったため今も続いています。

ベルギーの特産品であるベゴニアの切り花が並べられ模様を作り出します。

80万本もの様々な色の花が使用され、石畳を彩ります。

またクリスマスシーズンにはクリスマスマーケットが開催されます。

巨大なクリスマスツリーが飾られます。

グラン・プラスは野外コンサートや花屋、チョコレート博物館、美術館、

ビール博物館、高級ショッピングモールなど様々なものがあり、

とても楽しめる観光スポットになっています。

疲れたらカフェでベルギーのチョコレートを食べることもできます。

広場の周りには王の家やギルドハウスがあり、

建物の造りや彫刻を見て雰囲気を楽しめます。

ギルドハウスの上にはそれぞれの職業を表す彫刻がされています。

グラン・プラスならではの名物となっています。

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ガウディの世界へ グエル公園

グエル公園はスペインのバルセロナにあり、

アントニ・ガウディの作品群として世界文化遺産に登録されています。

スペインの建築家アントニ・ガウディによって造られました。

このグエル公演からはバルセロナを一望できます。

ガウディは自然や動植物を取り入れ自由で独創的な造形と

色鮮やかで芸術的な装飾が特徴的です。

ガウディの名言は数多く残されており、

『創造的であろうとして、意味の無いものを付け加えてはいけない。

自然の原理をよく観察し、それをよりよくしようと努力するだけでいい。』

自然と調和した芸術を生涯目指していました。

そのため、サグラダ・ファミリアやカサ・ミラなど

独創的な芸術作品を残しています。

天才建築家ガウディのおかげでスペインは『芸術の街』と呼ばれ、

ガウディの目指した自然と芸術に囲まれた街となりました。

グエル公園は1900〜1914年に、分譲住宅地として建設されました。

エウゼビ・グエル伯爵は40年間、

ガウディのスポンサーとして援助を行いました。

そのため、グエル公園の由来は伯爵の名前から来ています。

ガウディの自由な発想に当時の人々からは理解されにくく、

分譲住宅は伯爵とガウディしか住んでいませんでした。

その後、伯爵が亡くなると工事は中断されました。

公園は市に寄贈され、ガウディが住んでいた家は、

ガウディ記念館として公開されています。

グエル公園の入り口の建造物を見た、作家、画家サルバドール・ダリは

『砂糖をまぶしたタルト菓子のようだ』と言っています。

グエル公園は入った瞬間にカラフルで独創的な世界に目を奪われます。

ガウディが自然との調和を目指していた通り、公園内にはたくさんの植物が植っています。

建造物にもタイルが貼ってありますが、植物をモチーフにしてあります。

これだけの建造物にタイルを貼っているのは美しいですね!

よく見るとタイルだけでなく、お皿のカケラも入っています。

ガウディは生前、弟子たちに陶器工場に声をかけさせ、

カケラを収集していたと言われています。

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カトリック教会の総本山 サン・ピエトロ大聖堂

サン・ピエトロ大聖堂はバチカン市国にあります。

バチカン市国にはローマ教皇の住むバチカン宮殿やバチカン美術館があり、

国全体が世界文化遺産に登録されています。

サン・ピエトロとは聖ペテロという意味で、

イエス・キリストの第一弟子の聖ペトロのお墓があります。

サン・ピエトロ大聖堂は聖ペトロを祀る大聖堂であり、

キリスト教の中で世界最大級の教会になります。

元々バチカン市国はローマ帝国の一部でした。

64年に聖ペテロはローマ帝国皇帝ネロの迫害によって殉教してしまいます。

殉教した場所がサン・ピエトロ大聖堂です。

サン・ピエトロ大聖堂は324年に聖堂として建設されました。

聖ペテロは初代教皇と言われています。

その後、聖堂を中心にカトリック教の総本山として

バチカン市国は発展していきました。

1506年に教皇ユリウスによって聖堂の改築が始まりました。

最初は建築家のブラマンテ、後にラファエロ、ミケランジェロが建築に関わり、

1626年にサン・ピエトロ大聖堂は完成しました。

1929年にイタリアとバチカン市国でラテラノ条約が結ばれ、

バチカン市国はカトリック教の総本山として独立しました。

大聖堂内に入っていくと地下礼拝堂があります。

地下礼拝堂の壁には多くの彫刻があります。

キリスト教の聖遺物とされるものが彫刻されています。

キリストが架けられた十字架やキリストの顔が

残ったとされる布などがあります。

教皇庁にはスイス人傭兵が警備を行なっています。

傭兵の衣装はミケランジェロがデザインしたという説と

20世紀初頭に衛兵長を務めたJules Repondが取り入れた衣装という説があります。

ミケランジェロの説は当時の教皇ユリウス2世に気に入られ、

教皇の紋章の色を基に傭兵の衣装をデザインしたというものです。

衛兵長の説は建築家でもあり画家でもあったラファエロの絵から

衣装を真似て作ったという説です。

今となってはどちらの説が本当なのか定かではありませんね。

衣装はオレンジや青、赤色が入っており、とても目立つ色合いとなってます。

バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂なのに、

なぜスイス人傭兵が守っているのか疑問に思われた方もいらっしゃるでしょうか?

スイスは昔から傭兵産業で有名であり、最強クラスでした。

そのため、スイス人傭兵は色々なところで雇われていました。

そんな最強のスイス人傭兵はローマ教皇ユリウス2世にも

その実力を認められました。

ローマ教皇は彼らを常備軍として雇うことになりました。

スイスは傭兵業を廃止しましたが、今でも教皇の守備だけ

スイス人傭兵であり続けているのです。

スイス人傭兵は世界最古の傭兵でもあります。

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