ガラスの家と呼ばれる アーヘン大聖堂

アーヘン大聖堂はドイツにある、世界文化遺産です。

アーヘン大聖堂は1978年に世界遺産の第一号の12個ある中の一つです。

北ヨーロッパで最も古い大聖堂になります。

786年にカール大帝がアーヘンの宮殿教会を建てました。

814年にカール大帝が亡くなると、その遺体は大聖堂に納められました。

現在でも、遺体は残っています。

そのため『皇帝の大聖堂』と呼ばれています。

外観は薄い青の屋根に、クリーム色の外壁です。

とても爽やかな印象であり、神聖な雰囲気を感じます。

外から見るとステンドグラスが何枚も飾られているのが、よくわかります。

青を基調としたステンドグラスの前には、金色に装飾された

十字架や祭壇が置いてあり、コントラストがなんとも美しいです。

ステンドグラスに囲まれた礼拝堂は『ガラスの家』と呼ばれており、

カール大帝の即位600年を記念して増築されました。

その呼び名に相応しく、太陽の陽が入るときらきらと

礼拝堂内が神々しく照らされます。

しかしとても残念なことにデザインが異なるステンドグラスが何枚か存在します。

それは第二次世界大戦で壊れてしまい、追加されたものが飾られています。

大聖堂の内装は八角形になっています。

中世のキリスト教では8という数字が重要でした。

キリストが十字架にかかったのは宇宙創造では6日でした。

その3日後に復活した日が8日ということです。

キリストの死と復活することになった洗礼の聖堂には

八角形が使用されることとなりました。

そのため、アーヘン大聖堂にも八角形になったのですね。

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世界一美しい広場 グラン・プラス

グラン・プラスはベルギーのブリュッセルにあり、

ブリュッセルのグラン・プラスとして世界文化遺産として登録されています。

『レ・ミゼラブル』の著者であるヴィクトル・マリー・ユーゴーが

世界一美しい広場と言っています。

そんな彼もギルドハウスに住んでいました。

そんな美しい広場ですが、1523年にプロテスタントが

火刑に処された場所でもあります。

グラン・プラスは10世紀ごろよりギルドという同業人組合によって

商業都市として繁栄しました。

グラン・プラスは2年に1度フラワーカーペットがひかれ、

テーマは毎回変わります。

1971年からこのイベントは始まり、人気であったため今も続いています。

ベルギーの特産品であるベゴニアの切り花が並べられ模様を作り出します。

80万本もの様々な色の花が使用され、石畳を彩ります。

またクリスマスシーズンにはクリスマスマーケットが開催されます。

巨大なクリスマスツリーが飾られます。

グラン・プラスは野外コンサートや花屋、チョコレート博物館、美術館、

ビール博物館、高級ショッピングモールなど様々なものがあり、

とても楽しめる観光スポットになっています。

疲れたらカフェでベルギーのチョコレートを食べることもできます。

広場の周りには王の家やギルドハウスがあり、

建物の造りや彫刻を見て雰囲気を楽しめます。

ギルドハウスの上にはそれぞれの職業を表す彫刻がされています。

グラン・プラスならではの名物となっています。

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ガウディの世界へ グエル公園

グエル公園はスペインのバルセロナにあり、

アントニ・ガウディの作品群として世界文化遺産に登録されています。

スペインの建築家アントニ・ガウディによって造られました。

このグエル公演からはバルセロナを一望できます。

ガウディは自然や動植物を取り入れ自由で独創的な造形と

色鮮やかで芸術的な装飾が特徴的です。

ガウディの名言は数多く残されており、

『創造的であろうとして、意味の無いものを付け加えてはいけない。

自然の原理をよく観察し、それをよりよくしようと努力するだけでいい。』

自然と調和した芸術を生涯目指していました。

そのため、サグラダ・ファミリアやカサ・ミラなど

独創的な芸術作品を残しています。

天才建築家ガウディのおかげでスペインは『芸術の街』と呼ばれ、

ガウディの目指した自然と芸術に囲まれた街となりました。

グエル公園は1900〜1914年に、分譲住宅地として建設されました。

エウゼビ・グエル伯爵は40年間、

ガウディのスポンサーとして援助を行いました。

そのため、グエル公園の由来は伯爵の名前から来ています。

ガウディの自由な発想に当時の人々からは理解されにくく、

分譲住宅は伯爵とガウディしか住んでいませんでした。

その後、伯爵が亡くなると工事は中断されました。

公園は市に寄贈され、ガウディが住んでいた家は、

ガウディ記念館として公開されています。

グエル公園の入り口の建造物を見た、作家、画家サルバドール・ダリは

『砂糖をまぶしたタルト菓子のようだ』と言っています。

グエル公園は入った瞬間にカラフルで独創的な世界に目を奪われます。

ガウディが自然との調和を目指していた通り、公園内にはたくさんの植物が植っています。

建造物にもタイルが貼ってありますが、植物をモチーフにしてあります。

これだけの建造物にタイルを貼っているのは美しいですね!

よく見るとタイルだけでなく、お皿のカケラも入っています。

ガウディは生前、弟子たちに陶器工場に声をかけさせ、

カケラを収集していたと言われています。

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カトリック教会の総本山 サン・ピエトロ大聖堂

サン・ピエトロ大聖堂はバチカン市国にあります。

バチカン市国にはローマ教皇の住むバチカン宮殿やバチカン美術館があり、

国全体が世界文化遺産に登録されています。

サン・ピエトロとは聖ペテロという意味で、

イエス・キリストの第一弟子の聖ペトロのお墓があります。

サン・ピエトロ大聖堂は聖ペトロを祀る大聖堂であり、

キリスト教の中で世界最大級の教会になります。

元々バチカン市国はローマ帝国の一部でした。

64年に聖ペテロはローマ帝国皇帝ネロの迫害によって殉教してしまいます。

殉教した場所がサン・ピエトロ大聖堂です。

サン・ピエトロ大聖堂は324年に聖堂として建設されました。

聖ペテロは初代教皇と言われています。

その後、聖堂を中心にカトリック教の総本山として

バチカン市国は発展していきました。

1506年に教皇ユリウスによって聖堂の改築が始まりました。

最初は建築家のブラマンテ、後にラファエロ、ミケランジェロが建築に関わり、

1626年にサン・ピエトロ大聖堂は完成しました。

1929年にイタリアとバチカン市国でラテラノ条約が結ばれ、

バチカン市国はカトリック教の総本山として独立しました。

大聖堂内に入っていくと地下礼拝堂があります。

地下礼拝堂の壁には多くの彫刻があります。

キリスト教の聖遺物とされるものが彫刻されています。

キリストが架けられた十字架やキリストの顔が

残ったとされる布などがあります。

教皇庁にはスイス人傭兵が警備を行なっています。

傭兵の衣装はミケランジェロがデザインしたという説と

20世紀初頭に衛兵長を務めたJules Repondが取り入れた衣装という説があります。

ミケランジェロの説は当時の教皇ユリウス2世に気に入られ、

教皇の紋章の色を基に傭兵の衣装をデザインしたというものです。

衛兵長の説は建築家でもあり画家でもあったラファエロの絵から

衣装を真似て作ったという説です。

今となってはどちらの説が本当なのか定かではありませんね。

衣装はオレンジや青、赤色が入っており、とても目立つ色合いとなってます。

バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂なのに、

なぜスイス人傭兵が守っているのか疑問に思われた方もいらっしゃるでしょうか?

スイスは昔から傭兵産業で有名であり、最強クラスでした。

そのため、スイス人傭兵は色々なところで雇われていました。

そんな最強のスイス人傭兵はローマ教皇ユリウス2世にも

その実力を認められました。

ローマ教皇は彼らを常備軍として雇うことになりました。

スイスは傭兵業を廃止しましたが、今でも教皇の守備だけ

スイス人傭兵であり続けているのです。

スイス人傭兵は世界最古の傭兵でもあります。

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デンマークの霊廟 ロスキレ大聖堂

デンマークのコペンハーゲンにある世界文化遺産です。

12世紀初頭からロマネスク様式で造られ始めましたが、

100年以上かけて造られたため、

建設中にポーチや王家埋葬のチャペルが加えられ

ゴシック様式になるなど増築されました。

スカンジナビア(デンマーク、ノルウェー、スウェーデン)の中では、

最も古い煉瓦造りの建設物とされています。

15世紀より代々の王や女王が埋葬され、

40体ほど豪華な雪花石や大理石の棺の中で今も眠り続けています。

王族体の棺は豪華で中には金で装飾されているもの、

天使が寄り添い芸術品のような棺もあります。

デンマーク王家の霊廟として知られています。

フランスのロマネスク様式とは違い、

オレンジ色のレンガが使用されており、

屋根も明るい水色や暗い紫が印象的です。

他のヨーロッパの建造物と比べると色が入っているのが、

特徴的です。

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白いトンガリ屋根 アルベロベッロのトゥルッリ

イタリアのアルベロベッロにある、世界文化遺産です。

特徴的なトンガリ屋根に白い外壁で可愛らしい家です。

16〜17世紀の開拓農民用の住宅として造られました。

現在も住宅地として利用されており、

旧市街には1,000軒もの家が並んでいます。

このトンガリ屋根には接着剤を使わずに石灰岩を積み上げる

だけで造られています。

扉を開けると一つの部屋になっています。

トゥルッリとは一つの屋根一つの部屋という意味です。

こういう家の造りになったのには理由があります。

昔は家の数によってナポリ王国への税金の額が違い、

領主はは税金を逃れるために、取り壊せる屋根にしました。

領主は住民達に役人が来るたびに屋根を外して、

また組み立てさせることを繰り返していました。

18世紀になると暴政は幕を閉じた。

美しい森というアルベロベッロという名前がつけられた。

家ごとに植物が植えられており、

白と緑が美しい街となっています。

花が咲く時期には少しカラフルとなり、観光が楽しいですね。

アルベロベッロには教会やホテルがあります。

ホテルはトゥルッリ仕様でできており、

隠れ家のようで楽しい場所です。

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最後の晩餐が描かれている教会 サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会はイタリアのミラノにあり、

世界文化遺産に登録されています。

元々は1469年にミラノ公によって造られたゴシック様式の教会です。

しかし、ミラノ公は慎ましい造りに納得がいかず、ルネサンス建築に

改築するように命令しました。

またミラノで最も美しく、贅沢な建築物でならないと考え、

1494年にレオナルド・ダ・ヴィンチへ最後の晩餐の

絵を描くように依頼しました。

ミラノ公は食堂に最後の晩餐を描くように言いました。

ダヴィンチは絵を描いては修正し、ただ眺めるだけの日もあり、

何日も要し考えながら描きます。

当時の壁画はフレスコ画が主流であり、

漆喰が乾燥する前に描いて、乾燥させつつ絵の具を壁面に

定着させていきます。

一気に描かなければならない技法と彼のスタイルは

合っていないため、ダヴィンチはキャンバスに描く方法と

同じ方法に描き方を変えました。

壁画には合っていない描き方であり、食堂に使われていた部屋で

湿気も多く、完成直後からひび割れなどが入っていました。

ダヴィンチはその後、一度絵を塗り直しましたが、

ミラノを後にしてしまいました。

その後、壁画がある部屋は馬小屋となったり、2回もの大洪水を受け、

幾度となく修復が行われてきましたが、1999年に

長い時を経て、最後の晩餐が蘇りました。

そんな最後の晩餐が置かれていく教会は、絵の保存を優先し、

教会への入場制限を設けています。

2ヶ月前から予約が可能ですが、世界中の人が予約をするため、

早めの予約が必要です。

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アドリア海の真珠 ドゥブロヴニクの旧市街

クロアチアにあるドゥブロヴニクの旧市街は

世界文化遺産に登録されています。

ジブリアニメ『魔女の宅急便』にモデルにもなっており、

とても可愛らしい町です。

ドゥブロヴニクにはロープウエーがあり、上から街を眺めることができます。

アドリア海に面しており、上から見るオレンジの街と

アドリア海の海はコントラストが美しいです。

その美しさからアドリア海の真珠と昔から呼ばれています。

ドゥブロヴニクができたのは7世紀頃に

ローマ帝国が崩壊した時に始まりました。

スラブの襲撃から逃げてきたラテン人が住み着いたことが始まりです。

13世紀頃になり、貿易が盛んになったことで

町が大きく発展していきました。

ドゥブロヴニクはヴェネツィア王国やオスマン帝国などの

強国に囲まれており、城壁が造られました。

現在のドゥブロヴニクは美しいだけではありません。

雑貨屋やチョコレートなどのお菓子売り場、ハンドメイドなど

おしゃれなお店も多いのです。

そして海に囲まれている町なので、

シーフードが美味しい料理が多いのです。

テラス席がたくさんあり、お店によってはオシャレな路地を見たり、

海を見ながら食べれるため、最高ですね!

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いつでも映画の世界 スペイン広場

スペイン広場はイタリアのローマにあります。

元々はスペイン大使館であったため、イタリアなのに

スペインの名称がついてます。

スペイン広場は『ローマの休日』で撮影されたため、有名になりました。

ローマの休日に憧れた観光客もたくさんいます!

この階段の本名はスカリナータ・ディ・トリニタ・デイ・モンティといいます。

大きな広い階段で、階段下からでも教会がほぼ見えるため、

とても美しくおしゃれですね。

元々はフランス外交官の寄付によって階段が完成したようです。

階段下の広場は黒い石畳であり、

高級感があります。写真映えしそうですね。

頂上にあるフランス教会からはローマを一望することができます。

トリニタ・デイ・モンティ教会はキリスト教用語が使用されており、

日本語に直訳すると『丘の上の三位一体教会』という意味です。

ルイ12世によって造られました。

スペイン広場の下にはバルカッチャの噴水があります。

噴水には船が飾られており、船の中に水が入っており、

船が沈みかけているように見えます。

イタリアの彫刻家ピエトロ・ベルニーニと息子のジャンロレンツォ・ベルニーニに

よって作られました。

スペイン広場は夕方になると

太陽のオレンジ色で照らされます。

普段は白い教会で爽やかですが、一味違う景色が見れますね。

そして夜には教会、階段、噴水と

全てが街灯に照らされてとてもロマンティックな姿となります。

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願いが叶う泉 トレヴィの泉

トレヴィの泉はイタリアのローマにある、バロック様式の泉です。

古代ローマ時代に皇帝アウグストゥスの命によって作られました。

ローマの建築家ニッコロ・サルヴィによって設計され、

彼の死後、1762年に完成しました。

トレヴィの泉とは『三叉路の噴水』という意味です。

これは泉の前に3本の路があるこに由来しています。

泉の中央には海神ポセイドン、左に豊穣の女神ケレス、

右に健康の女神サルースがデザインされています。

後ろのポーリ宮殿と一体型になっており、

噴水だけではなく雄大な眺めになっています。

現在ポーリ宮殿は美術館へと姿を変えて存在しています。

トレヴィの泉には昔から言い伝えがあります。

後ろ向きにコインを投げ入れると願いが叶うと言われています。

コインの枚数によって願い事は決まっています。

コイン1枚は再びローマへ戻ってくることができます。

コイン2枚は愛する人と永遠に一緒にいることができます。

コイン3枚は夫や妻と別れることができるそうです。

3番目の願いは昔、キリスト教で離婚を禁止されていたため、

できたお願いのようです。

昼間のトレヴィの泉は観光客が多く、賑やかです。

夜の姿は少し違います。

泉が白くライトアップされており、泉が光っているのように見えます。

そのため、トレヴィの泉はとても神秘的な姿になります。

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