カトリック教会の総本山 サン・ピエトロ大聖堂

サン・ピエトロ大聖堂はバチカン市国にあります。

バチカン市国にはローマ教皇の住むバチカン宮殿やバチカン美術館があり、

国全体が世界文化遺産に登録されています。

サン・ピエトロとは聖ペテロという意味で、

イエス・キリストの第一弟子の聖ペトロのお墓があります。

サン・ピエトロ大聖堂は聖ペトロを祀る大聖堂であり、

キリスト教の中で世界最大級の教会になります。

元々バチカン市国はローマ帝国の一部でした。

64年に聖ペテロはローマ帝国皇帝ネロの迫害によって殉教してしまいます。

殉教した場所がサン・ピエトロ大聖堂です。

サン・ピエトロ大聖堂は324年に聖堂として建設されました。

聖ペテロは初代教皇と言われています。

その後、聖堂を中心にカトリック教の総本山として

バチカン市国は発展していきました。

1506年に教皇ユリウスによって聖堂の改築が始まりました。

最初は建築家のブラマンテ、後にラファエロ、ミケランジェロが建築に関わり、

1626年にサン・ピエトロ大聖堂は完成しました。

1929年にイタリアとバチカン市国でラテラノ条約が結ばれ、

バチカン市国はカトリック教の総本山として独立しました。

大聖堂内に入っていくと地下礼拝堂があります。

地下礼拝堂の壁には多くの彫刻があります。

キリスト教の聖遺物とされるものが彫刻されています。

キリストが架けられた十字架やキリストの顔が

残ったとされる布などがあります。

教皇庁にはスイス人傭兵が警備を行なっています。

傭兵の衣装はミケランジェロがデザインしたという説と

20世紀初頭に衛兵長を務めたJules Repondが取り入れた衣装という説があります。

ミケランジェロの説は当時の教皇ユリウス2世に気に入られ、

教皇の紋章の色を基に傭兵の衣装をデザインしたというものです。

衛兵長の説は建築家でもあり画家でもあったラファエロの絵から

衣装を真似て作ったという説です。

今となってはどちらの説が本当なのか定かではありませんね。

衣装はオレンジや青、赤色が入っており、とても目立つ色合いとなってます。

バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂なのに、

なぜスイス人傭兵が守っているのか疑問に思われた方もいらっしゃるでしょうか?

スイスは昔から傭兵産業で有名であり、最強クラスでした。

そのため、スイス人傭兵は色々なところで雇われていました。

そんな最強のスイス人傭兵はローマ教皇ユリウス2世にも

その実力を認められました。

ローマ教皇は彼らを常備軍として雇うことになりました。

スイスは傭兵業を廃止しましたが、今でも教皇の守備だけ

スイス人傭兵であり続けているのです。

スイス人傭兵は世界最古の傭兵でもあります。

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願いが叶う泉 トレヴィの泉

トレヴィの泉はイタリアのローマにある、バロック様式の泉です。

古代ローマ時代に皇帝アウグストゥスの命によって作られました。

ローマの建築家ニッコロ・サルヴィによって設計され、

彼の死後、1762年に完成しました。

トレヴィの泉とは『三叉路の噴水』という意味です。

これは泉の前に3本の路があるこに由来しています。

泉の中央には海神ポセイドン、左に豊穣の女神ケレス、

右に健康の女神サルースがデザインされています。

後ろのポーリ宮殿と一体型になっており、

噴水だけではなく雄大な眺めになっています。

現在ポーリ宮殿は美術館へと姿を変えて存在しています。

トレヴィの泉には昔から言い伝えがあります。

後ろ向きにコインを投げ入れると願いが叶うと言われています。

コインの枚数によって願い事は決まっています。

コイン1枚は再びローマへ戻ってくることができます。

コイン2枚は愛する人と永遠に一緒にいることができます。

コイン3枚は夫や妻と別れることができるそうです。

3番目の願いは昔、キリスト教で離婚を禁止されていたため、

できたお願いのようです。

昼間のトレヴィの泉は観光客が多く、賑やかです。

夜の姿は少し違います。

泉が白くライトアップされており、泉が光っているのように見えます。

そのため、トレヴィの泉はとても神秘的な姿になります。

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赤くそびえ立つ遺跡 ペトラ

ペトラはヨルダンにある、世界文化遺産です。

ペトラとはギリシャ語で『崖』を意味します。

ヨルダンの中南部の砂漠は赤っぽい砂岩であり、ペトラ遺跡も

別名『ローズレッドシティ』と呼ばれています。

紀元前1200頃にエドム人がペトラ周囲に住み着いていました。

紀元前1世紀頃からナバテア人が侵略し、移住しました。

ナバテア人は貿易を独占し、シルクロード上の隊商交易の

場として栄えることができました。

ペトラは険しい岩山に囲まれている難攻不落の要塞と化していました。

キャラバンを盗賊から守り、キャラバンの中継地点となっていました。

そして、シルクロードの富を得て、岩山に建造物を建てていきました。

紀元前312年にナバテア帝国が誕生しました。

大国ローマは戦争で様々な国を征服し始めます。

ナバテア帝国はローマ帝国の一部であったため税金を払い、

争いを避けることで国を存続させていました。

しかし、ローマ帝国はシルクロードの道をペトラを通らない

別ルートを造りました。

ナバテア帝国はシルクロードで得ていたお金が入らなくなり、

ローマ帝国の完全な支配下となっていきました。

徐々に衰退していったペトラですが、ガリラヤ地震で

甚大な被害にあって、

ナバテア人はこの地を放棄したと言われています。

その後、長い年月を経て、

スイス人ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトに

ペトラ遺跡を紹介され、ペトラの存在が

また人々に知られることとなりました。

ペトラ遺跡は映画『インディ・ジョーンズ』の

撮影場所としても有名ですね。

ペトラ遺跡は映画のようなワクワク感をくれるに違いありません。

ペトラ遺跡に行くまでにはシークを通らなければなりません。

シークとは約1.2kmもの薄暗く狭い狭谷です。

シークは水の浸食によって長い年月をかけて削られ、

現在のような形になりました。

自然によって創り出されたシークを歩いていくと、

突然ペトラ遺跡の一部が見えてきます。

本当に冒険して、遺跡を見つける感覚に近いです。

そんなペトラ遺跡は太陽の光によって、オレンジから〜赤色まで

様々な姿を見せてくれます。

ペトラ・バイ・ナイトは1500本のキャンドル置かれ、

ペトラが一番、赤く輝きます。

そんな美しいペトラですが、まだ全体の15%しか発掘されておらず

謎はまだまだ深いのです。

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世界の建築様式をまとめてみました!

世界には建築様式がたくさんあります。

日本にも昔、寝殿造や書院造りなどあるように海外にも建築様式はあります。

建築様式は文化や宗教、国によって異なり種類が

たくさんあるため、覚えにくいですね💦

今回は建築様式をまとめました!

【ロマネスク様式】

10〜12世紀にかけてヨーロッパ各地にみられます。

修道院や教会で多く使用された建築方法である。

ノマネスク様式は石造りの分厚い壁と多数の小さな窓が特徴的です。

スペイン サンティアゴ・デ・コンポステーラ

1世紀頃にキリスト12使徒のひとり、

聖ヤコブ(スペイン語名:サンティアゴ)の

お墓が約800年かけてサンティアゴ・デ・コンポステーラで

発見されました。

聖ヤコブの遺体を安置するために

サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂が

建てられました。

サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂はロマネスク様式で

建築されました。

当時のヨーロッパは異民族や異教徒と戦い続けていたため、

疲れ果てていました。

救いを求めた人達がヨーロッパ各地にロマネスク様式の

教会や大聖堂が建てられることとなりました。

イタリア ピサ大聖堂

【ゴシック様式】

12〜15世紀末期にフランスのパリを中心に、ヨーロッパ各地に影響を与えました。

ゴシック様式は天井の高さとステンドグラスの入った大きな窓が特徴的です。

フランス ノートルダム大聖堂

11〜13世紀頃でヨーロッパの森林が切り開かれ、

農業地を開拓していきました。

食糧の生産増加とともに、人口増加にも繋がりました。

仕事を失った人々は都会へと移り住みますが、

多くの他人と隣り合わせで住むことにストレスがかかっていきます。

こうして大都市の人々を対象に向けて作られたのが、

ゴシック様式の教会、大聖堂です。

ドイツ ケルン大聖堂

【ルネサンス様式】

15〜17世紀初頭にイタリアを中心にヨーロッパ各地に影響を与えました。

ルネサンス様式はシンメトリー(左右対称)とバランス(調和)を

特徴としています。

クーポラ(丸屋根)を取り入れ、シンプルな造りになってます。

フランス ルーヴル美術館

教会や修道院など『神のためのもの』から『民のためのもの』の建築が、

同じではあまりにも恐れ多いという思想が広がりました。

そして民のための建築物として新しい建築様式が考えられたが、

0から考えることは困難であった。

古代ローマの建築様式を使用し、ルネサンス様式が生まれた。

ルネサンスには再生という意味があります。

イタリア ドゥカーレ宮殿

【バロック様式】

16〜18世紀初頭にかけてヨーロッパ各地に広まりました。

彫刻や絵画などが壁に施され、金の装飾が豪華になったのが特徴です。

バチカン市国 サン・ピエトロ大聖堂

宗教改革によって、カトリック教会の弱まった権力を芸術活動で保とうとし、

16世紀末から17世紀初頭にローマで始まりました。

イタリアではすぐにバロック様式は衰退しますが、絶対王政のフランスに

受け継がれ、フランスからかくヨーロッパへ広がりました。

フランス ヴェルサイユ宮殿

キリスト教の伝道とともにスペイン、ポルトガル、フィリピンなどで、

バロック様式の建築が進んだ。

バロックの語源はポルトガル語で『歪んだ真珠』という意味でした。

過剰な装飾に対して嫌悪感があったようですが、徐々に芸術的な建築は

広がっていきました。

イタリア トレヴィの泉

【ロココ様式】

フランスの宮廷を中心にヨーロッパの主に宮廷に広まりました。

後期のバロック様式の名残りです。

曲線を多用し、壁と天井の境目があいまいなのが特徴となってます。

パステルカラーがメインとなり、ゴールドで縁取ることが多いです。

また花柄や天使が描かれることがあります。

ロシア エカテリーナ宮殿

フランスではフランス革命とともにロココ様式の建築は行われなくなり、

徐々にロココ様式は衰退していきました。

ドイツ ヴィースの巡礼教会

どうでしたか? 何となく建築の違いましたね!

最初は教会や大聖堂の建築でしたが、少しずつ大きな権力を見せるため、

宮殿の建築へと変わっていきました。

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